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人生はダム フリーダム

込めた願いは

いろんな意味で重い話をする(はずだったのになぜか下手っぴな推敲を重ねれば重ねるほどラブレターになってってて戸惑ってる)から、まずは冒頭に初めての #ぴよりんチャレンジ の結果を載せとく。
夜ふかしスペシャルでぴよりんの話題があったと聞いて(この時点で8割方ぴよりんチャレンジのことだろうと予測ついてた)、翌日に「愛知県民、いけるやろ?」ってチャレンジしてみた結果がこれ。


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今の私のメンタルもこんな感じです。おあとがよろしいようで(よろしくない)








本題。
2019年後半を経験して、こんなにしんどい年はないって思った。これから先の未来には2019年を越えるしんどさなんて絶対ないって言い切れるって思ってた。

思えば2019年後半、元某推しからは組織内ゴタゴタをはじめとしたいろいろが嫌になって降りることになったし(いまだにこころは戻れてないし戻りたいのかどうかすらわからなくなってしまった)、
喜多川さんは亡くなってしまうし、
えいとにはもう絶対ないって思ってた脱退が(ファン目線からすれば)急に起こってそのあとの発表もすんなり受け入れられず葛藤の日々だったし、
ちょっとの出来心で深めに踏み込んだ界隈ではファン同士で見るに堪えないいざこざが起こるし(作品提供側の責任も非常に大きい問題ではありながらファンのやばさがものすごかった。ので離れた)、
家庭の問題も起きるし(今はまだ持ち直したほうだけど当時は重なりすぎて泣きっ面に蜂だったし反抗期ばりに家に帰るの遅くなった。お酒に弱いのがわかっててそちらに走らなかったのは不幸中の幸い)、
2次元の推し(キャラ)は推し以外のキャラの想定以上の毒舌にへこたれて降りるし(これはしれっと復帰した←)、
NICOは突然の活動終了してそのまま行方しれずだし(ホントどうしてんだろうな……)、
ダメ押しなのかなんなのかスキマは体調不良で地元公演延期になるし(参加予定の公演ではなかったけれど、ここまでくるとしんどいがすぎて発表翌日起き上がれなくなって仕事休んだ←)。


これだけ起こってもそれでもなんとか生きてたから大晦日にはよく生き延びたと自分自身を褒めたし、人間ってやっぱり簡単にはへこたれきれないんだなって思ったし(本音はへこたれてしまいたかった)、こんなしんどい年はこれから先もう”絶対”ないって思ってた。絶対なんてないって思い知っていたのに。




そして2020年。なんだこれ。

正直2月末の時点で昨年超えしてしまったなって確信があって。そんなのお構いなしにどんどん進む世の中。

私はかろうじて平成世代だからか、情報は自分で掴みに行く(ネット見て精査する)もんだと思ってるところがある。
だからテレビが情報づくめになるのがほんとにしんどくて。どこかしら娯楽であってほしくて。
国からのおふれがでて全部報道特番になったとき、(一時的とはいえありえへんまで一時的に報道になったと聞いて)しんどくてたまらなかった。
最近は見るものどころか無意識的に目に入っちゃうものもちゃんと選別するようになってて。



日々感じることが、
息が苦しい。
現実がしんどい。
なのに眠れない。
眠れたと思ったら夢の中ですら悪いもんをたくさん見る。
頭が痛い。
せっかくの休日はひたすら惰眠に誘われる。
あれ?これって前職辞めたときと同じような精神状態なんじゃない??
こわいしんどい。
そんなことに追い詰められて。



おまけに参戦する公演こそなかったものの
旅を兼ねながら47の愛知物販、愛知、福井、鹿児島、埼玉、東京物販、山形、岩手、北海道に行くはずだったのが当然ながらどれも行けないというつらさ。
はじめての鹿児島も岩手も函館も。全部遠くにいってしまった。(今頃北海道銘菓を並べてどれから食べようか迷ってる頃だったんだと考えると余計につらい)


そんななか、救いの手を差し伸べてくれたのはいつだって推したちだった。
差し伸べられた手はあたたかくて。
それで今の今までなんとか生きてこられた感がある。

歌も言葉も様々なアクションも。各々のやり方で与えられたものは本当にとてもありがたくて。




そして私はやっぱりスキマスイッチの存在に救われてるんだ とあらためて思った。

なにかをくれたこと(配信とか生放送出演とか)ももちろんあったけど、そうでないときも私という人間の人格に浸透しきってるんだなぁ、と。

おこがましいけど、ここまでの人生の半分以上は彼らを好きなんだから彼らの音楽が身にしみるのは当たり前で、身にしみるどころか一部分にすらなっていて。

これまでずっと守られてたし、今このときも守られてる。大好きになった出会いの歌が紡いだ "君がどこに行ったって僕の声で守るよ" って言葉は間違いじゃなかった。

ライブのMCで「僕らは一番じゃなくていいけど、何番目かであってくれたら」(めちゃめちゃニュアンス)なんて言う彼らだから甘えきっていたけど、私にとって大切で大切でたまらないんだ。好きの気持ちとしてのはじまりみたいな存在で離れがたいし離れたらきっと私でなくなってしまう。
正直、彼らのことを勝手に嫌いになったタイミングもあったけど、人生の半分以上好きだったらもうついてくしかないよね。義務感ではなく前向きな気持ちで。ついていきたい。
残念ながらいまだに大人じゃない私は、彼らに対してよくある「大人になったら見えなくなる・側にいなくなる存在」でなんていないでくれよ。って考えてる。(重い)




"セカイを開くのは僕だ"
って叫ぶこの曲が、これからまた映画館という大きな視覚・聴覚の世界で感じられる 「スキマスイッチが音楽で彩った作品」 を連れてきて。いつになったら会えるのかわからないけど、魔法にかかりたくて楽しみで仕方ないんだ(4DXとかになるんなら触覚嗅覚でもふれたいからそのときは頑張って都合つけたい)。
タイアップをいただけることがまず大変なことってのも想像つくし余程のことでないかぎりありがたいもので、同じ曲に二度ってこと自体がレアなのに「タイアップが何度目かわかんなくなっちゃった」なんて贅沢を味わわせてくれる存在なんてきっと滅多にいない。それだけの説得力をもったものをつくれる人も。


しかもこの曲はこれまでだって私に奇跡をたくさん連れてきてる。
旧国立競技場イベントでのトップバッター歌唱、
関ジャム出演(大歓喜案件)、からのやすださんのギター製作(知った当時の驚き具合は今でも覚えてる。博多から宿に向かう特急列車の中。なんとか叫ばず堪えた←)、
プレミアムミュージックで映ったスタジオ(イントロの卓弥さんの言葉で既に感極まってたのにスタジオまで映されて感情めっちゃめちゃだったよ!嬉しすぎて!)
どれもこれも私にとっては奇跡で、今でも噛みしめられるぐらいに素敵な出来事だったりする。ありがとう。

言いそびれてたけど、先日15歳を迎えた「全力少年」におめでとうを。15年を経て君はとてもとても愛されとるよ!!この先もたくさん愛されてくれ!!




いろんな人のいろんなアクションが予定通りにいかなくなるなかで思い出したのは
”費やした日々と涙は 嘘をつかないし嘘はない”
って言葉でしかなかった。
その言葉が頑張る人たちにぴったりだって初めて思ったときよりも、
公演がどんどん中止(延期)になって、五輪も延期が決まって、番組のスタジオ収録までも中断されるようになった今は何倍もこの言葉を贈りたい人たちがいる。

だってみんなみんな頑張ってきたことわかってるもん。表に出てきたもの以上に何倍も努力してて、それを事細かに知らなくても語られなくても想像はつくし、そこに懸けていた想いを受け止めたいなと思う。

だからこそ、"そうして生まれた軌跡が 明日を作っていく"って信じたくて。

だから私はまるやまさんの舞台誌を買います(宣言)





考えれば考えるほどに大好きで大好きでたまらない。
出会ったときの彼らの年齢を越えて、人生の半分以上好きで、スキマスイッチにはこれからもよろしくお願いしたい気持ちでたくさん。(欲を言えばセルフカバーを音源化してくれってのはこれまでも言い続けたし、これからも実現するまでは耳にタコができるぐらいに言い続けます←)



出歩けない春の大型連休に、ずっとずっと会いたかった彼らの姿をこの目で初めて見て声を聴けた記念の日がまたやってくる。

彼らに私が出来ることってきっと少ないんだけど。

いつだってありがとう。
旅の続きと、彼らがホームタウンにまた帰って来られる日が来るのをなによりも願いながら。私は彼らの大事なホームタウンから、彼らにもらった言葉をそのまま返したいと思います。
”明日は 今日より昨日より 君を想うよ”


今日のCDTVライブ!ライブ!も楽しみにしています。